2004年12月28日

付近の渋滞は勘弁してほしいが

築地近辺は旨い店が多くてホント素晴らしい。
そういえば、昨夜の忘年会でも月島の「ほていさん(あんこう鍋)」が話題に・・・。

場内に初めて足を踏み入れたのは大学四年の時。
ターレ(ターレット)が目の前を凄いスピードで縦横無尽に行き交い、歩くのもままならなかったことを今でも覚えている。

同じ頃、趣味が高じて赤坂の寿司屋でアルバイトしていたこともあり、普段より様々な魚を口にしていたが、築地市場には食材図鑑でしか目にすることの出来なかった魚、例えばミルガイ(普段すし屋で食べられるのはシロミルが殆ど)、シシャモ(間違ってもカペリンではない)、トキシラズ、なんてものが普通に置いてあり、魚好きには何時間居ても飽きさせない遊園地のようなところであった。

そんな築地市場の魅力を十分に伝えてくれる本がある。
TVチャンピオン築地王であり、築地市場を食べつくせ!を主催する小関 敦之さんが上梓された「築地で食べる 場内・場外・”裏”築地」である。

築地で食べる 場内・場外・”裏”築地    光文社新書

この本を見て、ついつい築地探索に出掛けたくなったのは私だけだろうか。

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2004年12月24日

伝えたいことを伝えるために

これまで、図解技術に関する本を数多く見てきたが、明からに最高の書。
「他人に自らの思いを正確に伝えたい」と考えている人、必読です。

マッキンゼー流図解の技術 東洋経済新報社
マッキンゼー流図解の技術

特に、チャートの使い分け(選ぶ・使う)のパート。
日々、大量の企画書・調査レポートに目を通していますが、使い分けがキチンと出来ている資料を目にする機会は殆どありません。
もちろん、メッセージ(伝えたいこと)が不明確なために意味不明のチャートを用いているケースが多いです。
(特に調査機関が発表する資料!)

当分、デスクに常駐させようと思います。

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2004年05月30日

伝える事の難しさ

先日「無敵会議 第5回 おしゃれ会議」に参加。
(詳細はここらへんを参照)

久々に、「情報(information)とデータ(data)の違いとは?」という点について考え直してみる。
以前、同様の疑問を抱いた際に非常に参考になったのがこの本。

情報デザイン入門
情報デザイン入門

今でも十分読み応えがある名著だ。
(特に第一章)

国語辞典(『岩波国語辞典』第五版)によれば、情報とは、
 (1)ある物事の事情についての知らせ。
 (2)それを通して何らかの知識が得られるようなもの、informationの訳語。
とある。明治以来おもに用いられていたのは(1)の意味でだっただろうが、現在では(2)で指し示す範囲がどんどん広がっている。

つまり、情報とは知識を与えてくれるものであって、そうでないものは情報とは呼べない。
このあたりが情報とデータの違いを知る上でのスタート地点となる。

 ある地点のある時点における天候や気温、気圧、風力といったデータは、それ自体では情報ではない。それらはあくまでもデータのままだ。こうした膨大なデータがシステマティックにかき集められ、その集積をもとに専門家による科学的な分析がなされ、そしてその結果が誰にでも理解しやすい情報として「かたち」に表されないかぎり、私たちには今日や明日の天気がどうなるかを知ることはできない。つまり、情報デザインとは、何よりも私たちの身のまわりにある膨大なデータを、価値のある、そしてわかりやすい情報へと変換してくるための作業にほかならないのである。

ここで核心が語られている。
データはそれ自体では情報ではなく、誰にでも理解しやすい「かたち」に表されてはじめて「価値のある情報」となる。
また、このデータを価値のある情報へと変換する作業を情報デザインと呼ぶ。
そして、この情報デザイン(情報に「まとまり」をつける整理=組織化)の方法として次の5つを挙げている。

(1)カテゴリー
(2)時間
(3)位置
(4)アルファベット(あるいは五十音)順
(5)連続量


さて、何故こんなことを長々と書いたかというと、私は上記5つの方法を用いてデータを情報に変換する作業を行い、新たに生みだした知識・価値を他人に「伝える」べく日々行動しているが、アウトプットを見ながら「これは本当に情報なのか?情報モドキではないのか?」と自問自答する機会が多いからである。
また、それと同時に他人の行った情報デザインのアウトプットが「情報モドキ」にしか感じない(つまりは、何も伝わってこない)事が多いからでもある。

この「情報」と「情報モドキ」の差とはつまるところ、相手に「伝わる」か否かである。
5つの方法で「かたち」にすることは非常に簡単であるが、変換したからといってそのまま価値をもつわけではない。価値をもつかどうかは変換されたデータが相手に伝わるかどうかであり、そもそも伝わらないものは相手に知識を与えない。
以前、広告・デザイン業界の方からプレゼン資料作成に関してご教授頂いた際に最も強く言われたことが次の点だった。
「成果物の評価は100点か0点の2つしかなく、こちらの意図することが正確に伝わらなかった場合はすべて0点。パーフェクトでないものには意味が無くどれも同じ」。
今でも頭の痛くなる内容であるが、デザインというものの真実がここに現れていると思う。

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2004年05月21日

究極の顧客満足度調査

先程、帰りの電車内でHarvard Business Review6月号を見ていたら、久々に「なるほど!」と感心させられる論文が。

ベイン・アンド・カンパニーのフレデリック F.ライクヘルド氏による「顧客ロイヤルティを測る究極の質問」(英語版はFrederick F. Reichheld:"The One Number You Need to Grow"、来月にはここでオンデマンド版が購入可能)。

近年マーケティングの世界では「顧客ロイヤルティ」という単語が氾濫しているものの、その内実は案外闇に包まれたままである。
日常生活を送っている中で、感覚的に「これがロイヤルティかな?」という曖昧な意識はあるものの、本質的なところではロイヤルティとは何かは理解出来おらず、「ロイヤルティとは詰まるところ何?」という疑問が常に付き纏っていた。

そんな疑問を一気に解消してくれたのが今回のArticleであった。

答えから先に書くと、「顧客が企業に対してロイヤルティを持っているかどうかは、たった一つの単純な質問によって計測することが出来る」という。
それは「この会社を友人や同僚に紹介したいと思いますか?」という問いかけである。
この論文によれば、この問いかけに対してYesと答える回答者の比率(10点評価で9か10点をつけた人数÷6点以下をつけた人数)と企業の利益成長率には相関関係があるという。

幅広い企業を対象にした場合においても同様の利益成長率との相関関係があるかどうかについては懐疑的な見方も出来るものの、何よりこの質問項目の単純さには正直驚いた。
というのも、近年デスクトップリサーチを代表とするITの利用拡大によって顧客調査は以前に増して複雑化しているからだ。
その最たるものは恐らく自由回答文の解析に用いられるテキストマイニングだろう。
ITハードの処理能力の向上、及びそれに伴う処理コストの低下、言語解析を含む統計処理技術の向上により、統計分析は数年前とは比較にならないレベルにまで高度化し、かつ誰でも容易に実施できる体制が既に整っている。

ただしである。顧客調査はどこまで有効活用されているのだろうか?
活用度合いは調査目的によって異なってくるのは明らかであるが、顧客満足度、あるいは顧客ロイヤルティに関する調査ではどうであろう?
恐らく、過去と現状を真摯に受け止め、次のステップ(プランニングとアクション)に結びつけることが出来ているのは10%に満たないのではないだろうか。
更に言えば、これらサイクルを常にループさせ続け「カイゼン」DNAを組織内文化として根付かせることに成功している比率となれば1%に満たないのではないか。

ビジネスの現場で顧客調査が十分に活用さていない理由の一つは間違いなく質問項目数が多すぎることにあると思う。
何故買ったのですか?、誰に聞きましたか?、次も買いますか?、満足してますか?、・・・。それぞれの質問項目の意図は解るが、その結果をどう評価し、今後どのように活かそうとしているかが全く窺えない。

データウェアハウス、OLAPなどの技術進歩により多次元分析は身近なものになったが、その結果を理解する人間の能力は殆ど進歩していない。現実問題として3次元でさえも理解出来ないケースが多いのだ。これは私がこれまで企業のマーケティング部、営業企画部、等に所属する方々と共に仕事をしてきて常々感じている事である。この複数次元が理解(把握)出来るかどうかにおいては、人間のタイプは完全に二分されるようである。学歴、理系・文系に関係なく解る人は数次元レベルであれば意図も簡単に重要なポイントにフォーカスすることが出来るし、解らない人はどれだけ説明しても解らない(こちらの意図が伝わらない)場合が多い。余談であるが以上のような経験から私が作る資料でクロス集計表が用いられることはまず無い。可能な限り平面上に棒グラフ、折れ線グラフ、円グラフを用いて表現するようにしている。

話を戻すと、仮に質問項目数が多いことを理由に何のアウトプットも生み出せない状況があるとすれば、得られる情報量がどれだけ少なくなろうともアウトプット可能となるまで質問項目を単純化することは非常に好ましい。
顧客ロイヤルティをたった一つの単純な質問で計測するということは、そのシンプルさゆえ大抵の人が理解できる、という汎用性において非常に優れている。また同時に、外部調査会社でなくとも実施出来ることからコスト面でも優れているし、集計が容易であり即座に結果が判断できることからスピード面においても優れている。
以上のように顧客調査を十分に活用するという点を考慮すると、時代の流れと全く逆行していながらも、質問項目が単純であることのメリットは計り知れない。
「可能な限り質問項目数の絞込むこと」。これは顧客調査において今一度検討する価値がある重要なテーマだと思う。

最後に、この質問項目は企業-顧客という関係以外の場面においても十分活用出来そうである。
例えば、企業と社員の関係。
「アナタは以前勤めていた会社を友人や同僚に薦めますか?」である。
偶然、昨日ボストンコンサルティングに以前勤めていた方に「戦略コンサル会社行くならどこが良いですかね?」と聞いたら、その後の目的にもよるけど「俺はボストンを薦める」とあっさり答えた。
恐らく相当良い会社(組織と個人の関係が良い会社)なのだろう。
あるいは、男女関係。
「アナタは以前付き合っていた彼女(彼)を友人や同僚に薦めますか?」である。
サスガに薦めるとなると随分無理を感じるが、小泉今日子の歌詞ではないが「あなたに会えてよかった」と言わせられるかどうか?

他にもまだまだ活用できそうである。

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2004年03月24日

経営戦略の発想法

戦略経営の発想法を購入する

書かれている内容に関して異論は少ない。

・エコノミストが実態の経済、もしくはその経済を支える経営に対して余りにも無知であること。

・理論経済学が社会科学あらんとするために「独り歩き」している面があること。
(経済学部出身だけに、よ~く分かります。私はこれで理論経済学に対して食わず嫌いになりました)

・ビジネスモデルで経営が成り立つほど経営の現実は甘くないということ。
(「SkillよりWill」という表現が象徴的)

・ビジネスモデル、いや経営学そのものの多くが「後知恵」であり、実際の経営においては無力である事。
(ヒアリングした10人の経営者の言葉は何れも一言一言に非常に重みがある。それに対し、経営学者と言えば・・・。)

・経営において必要な力は知力よりもむしろ、人間力、行動力、といった泥臭い部分にあること。
(組織・人を動かす難しさについても触れられている)

・今後、日本経済を活性化するために必要な事は、現場を全く理解していない者(政治家、エコノミスト、学者)が提言している経済政策などではなく、個々人の目的意識の変革(芽生えか?)などから生まれるボトムアップ(自立的、市場的と言っても良いかな?)な社会変化であること。
(高橋俊介さんばりのキャリア論も少し出てくる)


ただしである。
はたして一体これは誰に対して書かれたものなのか?

経営者・・・、ではない。
なぜなら、経営の意思決定を行う立場にある人はその企業の大小問わず書かれているような内容については既に体現しているからである。
(大企業の雇われ経営者は一部例外もあるかもしれないが)

では、今後日本を支えるかも知れない若き起業家予備軍か?
だとすると、経営実学に関する内容が乏しいし、啓蒙(起業のきっかけ作り)するにも弱い。

となると・・・?

1)筆者の個人的な考え・思いに対するまとめ
2)書店に並んでいるエコノミスト批判している新書に登場する面々とは全く異なる立場にある、同列に扱わないでくれ!という強いメッセージの伝達と自己証明。

なわけないよなぁ・・・。

少なくとも、「そうそう」なんて頷き理解しつつ結局何も行動しない人のバイブルにだけはなっては欲しくない。
(これは自分への戒めでもある)

Posted by Ozaking at 23:58 | コメント (0) | トラックバック

2004年03月18日

買ってみました。「経営戦略の発想法」

「木村剛とブロガーのオフサイド取引」に行くのはいいとして、木村剛って???

というわけで、今週末の広島往復の際に読んでみようと思います。

戦略経営の発想法

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2003年12月20日

「情報検索のスキル」未知の問題をどう解くか

データセクションの橋本さんが触れていた三輪眞木子・著「情報検索のスキル」ISBN4-12-101714-5を早速購入してみた。
昨日、オフィスでペラペラっと眺めるつもりで頭だけ目を通してみたところ、これまた橋本さんも書いていたように、グイグイ引きこまれ、私も最後まで一気に読み切ってしまいました。

ブルックスの方程式、これについては理解が十分でないのと、「情報」の価値、について異なった視点からの考え方が既に自分の中にあることから、いつか「情報の価値とは?」みたいな件で記事をPOSTしようと思う。

で、この本の内容と言えば、タイトル、著者の肩書き、からは予想できない「生身の人間の情報探索」について述べられている。
つまり、一般的に共通したHow to 何とか?ではなく、各々の目的、感情、立場によって情報探索の進めかたは大きく異なる、という視点から書かれている。
これは、逆に情報を如何に生み出し、提供していくか?
といったことを考える立場にある方々にとってとても重要な視点であり、多くのヒントを与えてくれる。

簡単にまとめると、
情報とは「メッセージの受け手の知識に変化を及ぼすモノ」(=ブルックスの方程式)であり、
そのメッセージの受け手はさらに目的、感情、立場によって情報探索の進め方、
および得られる情報に対する価値評価は大きく異なる。
受け手は未来の望ましい出来事(遠隔ゴール)を心に描き、そこから個々の行動の成果を
評価する基準(直近ゴール)を設定しそれを実現させる可能性の高い行動を起こす。
(=バンデューラの多重ゴールモデル)

なお、情報リテラシー教育についても書いてあるが、興味が薄いため割愛した。

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2003年12月19日

読書の秋(すでに冬・・・?)

クレイトン・クリステンセンの新作「Innovator's Solution」が翻訳出版された。
何と邦題は「イノベーションへの解」。

まことに微妙である。
意味合いとしては、「ジレンマに対する解決策」、「ジレンマを背負ったイノベーターのなすべき事」の筈なので、少しずれている様に思う。

ジレンマで思い出したが、Play Station2、及びXbox、Game Cube、といった専用ゲーム機全般がイノベーションのジレンマに陥っているように思う。
昨年、韓国でゲームをし過ぎて死亡したとの記事があった。
ただしゲーム全般を見渡すと求められる技術レベルが高度になり過ぎており、韓国の記事に出てくるような一部熱狂的ユーザには受け入れられているものの、多くの一般ユーザがゲームから離れてしまった様に感じる。

オンラインゲームは未体験の人が多いものの、地下鉄で携帯電話のテトリスをやっている人は沢山いる。
つまり、ゲームのレベルが一般ニーズを遥かに超えてしまっている。
これに対するSonyの出した対処法が恐らくPSXなのだろう。
つまり、ゲーム以外へ技術を応用する。
やはり、色々な意味においてPSXは要注目である。

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