貧困エンジン その後
今日はクリスマスイブ
今宵、BluenoteでDee Deeの歌声に泥酔出来る人をとても羨ましく思う。
こんな晴れやかな日に、私は貧困エンジン解明の迷宮に迷い込んでいる。
元々想像出来なかったワケでもないのだが、貧困エンジンは本当に奥深い。
ロストウ、ドーマー、ソロー、経済学にトコトン苦しめられている。
これも、かつて勉強を怠った戒めであろう。
貧困問題の答えを導き出すには、どうやら開発経済学にヒントが隠されているようである。
しかも、かつて最も嫌っていた理論経済学が中心議題である。
わずか50年の歴史しかない開発経済学であるが、近代(新古典派)経済学、マルクス経済学、その他、の3つの流れを中心として議論が進められてきている。
ただし、問題は理論を実証するためのデータが一部に偏っている、つまり現在の先進国(かつては貧困だった国々)のデータしか現存せず、いまだ貧困から抜け出せない国々のデータは存在しないため、科学として成立していない。
分かりやすく言えば、開発経済学で語られてきた内容は現在貧困状態にある国々を成長に導くことが出来ない理論でしかない。
そう、そのまま理解しても何の役にも立たないのだ。
しかし、この貧困エンジン、及び貧困問題から目を背ける事は出来ないし、これまでの議論が無駄であるとは言わない。(私の大好きな、「批判的継承」という手がある)
これからの年末年始、私は経済学の迷宮と格闘しようと思う。
思えば、今から丁度10年前、環境破壊、人口爆発、貧困、飢餓、これら問題に真剣に悩んだ時期があった。名古屋の進学予備校で浪人していた頃である。
しかし、その後それら問題に真剣に取り組み、答えを出す事は無かった。ややもすると避けてきたのかもしれない。
ここで私は誓う、漸く本気で格闘する決意が出来た事を。
まさか30歳のオッサンにサンタがくれたプレゼントがこんな過酷な難題になるとは。
これも、これまでの行いの悪さのお陰か?
Posted by Ozaking at
21:43
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